出会いと別れ、そして出会い。その一つの出会いに感謝①2024.06.18の日記である。


 

「出会いと別れ、そしてまた出会い」

2024.06.18の日記である。








この年齢になると出会いと別れを繰り返す。そして一つの出会いと別れの話です。



なんて、恋の話のようなくだりですが、娘の塾の先生に感謝している話です。





娘が小学4年の頃、いわゆる学級崩壊まで言わずともクラスの雰囲気がよくない学級であった。そんな中宿題をやっている様子をみると、理解しているようにない。


担任の先生に聞いてみるも、理解しているとのこと。




ところで



娘はへんな正義感があり、わりと悪ガキ集団にもモノを申してしまうところがある。そして倍にやり返される。この時も言い返すからか、悪ガキ集団の一人と隣の席にさせられた。今もその正義感はあるよな。




「お言葉をかえすようですが…」


とあるドラマのセリフ。こんなこといってしまいそうな子であった。




話は戻る。






小学校で算数はつまづくと


後から挽回しがききにくいので算数だけは塾にいれようと、2個目の塾でここだ!という場所と先生に出会い、入ったのが前塾。


ここでは小学4年生だったので、生徒が3人で塾長が教えてくれた。みるみると理解力が上がっていった。





学区内の中学は遠いし、クラスメートもこんな感じなので、私立にいれようかな?なんておもったこともある。そんなことがあり、勉強に興味を持っていった。




小6くらいから塾が嫌、友達と遊びたいとなり、勉強に興味がない日が続く。興味がないのか、この時から起立性調節障害の症状が出ていたようなので、(事後報告だけど…)塾に行くのを嫌がったりするようになる。






この時、新しい塾長に代わっており、その先生はメンタル的なもので何かありますか?と言われていてた。気が付いていたんだな。私はこの時は思春期のホルモンバランスが変わる時で、主人も私も頭痛もちであったから、特段と気にしたことはなかった。





そして、中学1年の5月になると、起立性調節障害の症状が重く出始め、最初は集団のコースにいるが、段々、休みがちになり、個別のコースに移ることになる。塾長がみてくれていた。






小学校の時から見てくれていて、理解力がいいといつもほめてくれていて、また、ほかの面でも要領が悪いくらい真面目である性格を理解してくれていた。








2学期になるとオール斜め線の通知書がつき、休みも増え、個別の授業も振替が増えた。


学校の対応の悪さなどなども聞いてくれて…(感謝!)。








学校の担任よりも寄り添った対応をしてくれた。








休みが続き、塾を休塾することにした。





その間も電話をくれて状況を聞いてくれた。





愚痴でもいいので連絡してくださいね





と声をかけてくれた。ありがたい言葉だった。


泣きそうになるほど、うれしかった。


学校には残念に思うこと続きだったので、こういう風に暖かい目で娘を心配して見てくれている人もいるんだなと思った。




長くなるので続きはティーバーで!


というのは冗談で続きが次へ。


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